明るさは滅びの姿か 限界自治体・昭和村
福島県の奥会津地方に、昭和村という人口約1600人の村があります。
1970年には3000人を超える人が暮らしていたので、人口はほぼ半減したことになります。高齢化率は約55%。全国第2位の限界自治体で、いずれは消滅する村です。
村に点在する家は、築100年を超える茅葺屋根(現在は金属屋根でカバー)の伝統的な造りの農家がほとんどです。現代的な建売住宅やハウスメーカー製の住宅は1軒も見当たりません。戦後から高度成長期を通して、現在にいたるまで、この村への移住者はほとんどいなかったことが想像されます。
地元に残っている数少ない若い人たちは、村役場、JAなどに勤めるサラリーマンで、古い家は住みづらいからと、親とは同居せずに市営住宅で暮らす人が多いそうです。
当然ながら空き家も多く、大芦地区では約130件中50軒が空き家。なかには、80代の一人暮らしも多く、10年後には空き家数は逆転する、との住民の声もあります。
明るく頑張る昭和村
とはいえ、いずれは消滅するからといって、座して死を待つ昭和村ではありません。
人口減少による村の衰退をなんとかしようと、1994年から織姫制度を始めました。織姫制度とは、越後上布の材料となる「からむし」生産の技術継承制度。それまではからむし栽培の技術や方法は各家庭の秘技だったのですが、高齢化が進み技術の継承のために、あえて村外から若い継承者を募ることにしたものです。
これまで100人以上の若い女性が研修生として学び、終了後も20名は村にとどまり、うち10名以上が村出身者と結婚し家庭を持っているそうです。
からむし織の素晴らしさを、村外の人々から評価されたことで、村のひとたちは、自分の村にほこりを持つようになったそうです。人口減少が進むなか、村を明るくする好材料ではありますが、人口減少の歯止めとなるほどの数ではありません。
併せて第3セクターによる地域おこし、として「道の駅」「織姫交流館」、温泉の出る宿泊施設「しらかば荘」などを経営し、村を訪れる人を増やす活動を展開しています。ただし、11月から4月まで、3メートル近い深い雪にとざされる村です。年間を通しての来訪者には限りがあり、第3セクターとしては赤字とのこと。
また、興味深いのは、村の観光協会の若いスタッフのほとんどが、総務省の地域おこし協力隊制度による他地域からの移住者であること。この村の自然の美しさ、人の温かさに魅かれ、2年の任期を決断したというのが、全員一致の理由でした。ただし、任期が切れた後、移住するかどうかは、不明とのこと。
もうひとつ村が頑張っているのが、介護施設の運営です。公共施設のなかではひときわ立派な建物で、増築されるほどの盛況さです。この施設の入居者の多くは他地域からの高齢者です。急激な高齢化により高齢者施設が不足している自治体は多数あります。そうした自治体の高齢者を引き受けるための介護施設なのです。農業が中心の村において、新たな雇用の創出にも、一役かっているようです。
ただし、急激な高齢化も地方を中心に徐々におさまりつつあり、地域によっては高齢者施設も余り始めています。団塊世代が90歳を迎えるころには、日本全国、いたるところで、過剰となった高齢者施設の転用をどうすべきかが、新たな問題になっていることでしょう。
とはいえ、限界自治体昭和村は、衰退の流れにただ身をまかせることはせず、村が存在する限りは、また、総務省、国土交通省、厚労省などの国からの補助金が交付され続ける限りは、やれることをやり続ける、という明るく正しくジタバタする姿が印象的でした。
やりたいことをやって、毎日を楽しく暮らす村人たち
一方で、この村に住む人たちの、先々の暮らしへの思い、とりわけ高齢でありながら一人暮らしを続ける人たちの暮らしぶりも、とても気になるところでした。
一晩泊めていただいた「とまり木」の80代の皆川キヌイさんは、御主人がなくなった後に、ひとりで農家民宿を始めたそうです。夕食に並んだ郷土料理はすべて手作り。食前酒は自家製どぶろく。山菜・きのこは自ら山にはいって、採集し調理したもの。朝食には手作りの納豆や滋味に満ちたやさしい甘さの麦芽飴が並びます。毎食のご飯も自分の田んぼでとれたものです。口にするもののほとんどは、自給自足なのです。
キヌイさんの暮らしは、ひとりで老いていく不安よりも、季節の恵みとともにある日々の暮らしの豊かさのほうがまさっていると、感じました。
「やりたいことをやって、毎日を楽しく暮らす」ことが、ひとりになっても村で暮らし続けるキヌイさんの思いです。周囲には同年代のひとり暮らしの女性も少なくありません。毎日、お互い声を掛け合い、お茶飲みに誘い合いながら、それぞれにやりたいことをやって、日々を楽しく暮らす、という明るい姿がありました。
また、30年勤めた村役場を早期退職して、5年前に「ファーマーズカフェ」を開いた60歳の佐藤さんも、村が消滅することは、誰もが分かっている。だからこそ「好きなことをやって、毎日を楽しく暮らしたい」といいます。このカフェの名物は手打ち蕎麦。昼時に村の人たちが昼食かたがた、集う場をつくりたかったというのが開店の理由。またここでは佐藤さんの自作自演のライブコンサートも開かれています。やはり明るい姿です。
村も人も明るい、昭和村。
太宰治の「右大臣実朝」のなかの「平家は明るい、明るさは滅びの姿であろうか。人も家も暗いうちはまだ滅亡せぬ。」という実朝の言葉が思い浮かんできました。 (2017年11月4日)